東海道はなぜ五十三次なのか

江戸時代に、東海道は日本橋から京都の間に五十三の宿場町が設けられ、これを東海道五十三次と言った。
狂歌にすぐれた大田南畝(1749~1823)は、東海道五十三次の起こりについて「宋の黄山の詩に、鬼門関外遠きをいうなかれ五十三駅これ皇州、とあるのによった」と言っている。
この詩自体は、仏教の教典『華厳経』に由来しているのだが、それは、昔、善財童子という者が五十三人の善知識(賢者)を訪ねて教えを乞うたという。
この事は修行の段階を表し、最後に悟りの境地にたどり着く説法。
中国の五十三駅も、東海道五十三次も、この五十三という数字を取ったもの。
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