先んずれば人を制す(さきんずればひとをせいす)
どんなことでも他の人より先にしておけば、相手より有利な立場に立つことができるので自分のしたいように物事が進められるものだと言うこと。

猿も木から落ちる(さるもきからおちる)
猿はとても木登りが上手な動物。その猿でも木から落ちることがあるように、どんなに上手な人でもいつでもうまくできると言うわけではなく、たまには失敗すると言うこと。

去る者は日々にうとし(さるものはひびにうとし)
仲良くしていた人でも遠く離れてしまって会わないでいると、親しみが薄れてきてしまうと言う意味と死んでしまった人は日がたつにつれ忘れられて行くと言う二つの意味がある。

さわらぬ神にたたりなし(さわらぬかみにたたりなし)
「たたり」は神様に悪いことをしないかぎり受けることはない。何もしなければ何も悪いことは起きないから、難しい問題にはなるべくかかわらず、そっとしておいた方が良いと言うこと。

三人よれば文殊の知恵(さんにんよればもんじゅのちえ)
「文殊」は知恵をつかさどる文殊菩薩のこと。たとえ普通の人でも三人も集まって相談しながら考えれば文殊菩薩のような素晴らしい知恵が出てくるものだと言うこと。

親しき仲にも礼儀あり(したしきなかにもれいぎあり)
仲の良い間柄でも礼儀は守らなければならない。礼儀を忘れてしまうといくら仲が良くてもそれが原因で仲が悪くなってしまうことがあるので、気をつけるようにと注意していることわざ。

失敗は成功のもと(しっぱいはせいこうのもと)
失敗を繰り返してもどこが悪かったのかを考えるうちに、どのようにしたら良いかわかって来て少しずつ成功に近づいて行く。つまり、失敗は決して無駄ではないと言うこと。

釈迦に説法(しゃかにせっぽう)
「釈迦」は仏教を開いた人で「説法」は仏教の教えを聞かせること。お釈迦様が仏教の教えを知らないはずがないことから、あることを十分に知っている人にそれを教えようとする愚かさを言う。

重箱のすみをようじでほじる(じゅうばこのすみをようじでほじる)
「重箱」はおせち料理を入れたりする積み重ねて使う入れ物。重箱の隅に残っている食べ物をようじでつついて食べるように細かいことやつまらないことにまで口を出したり文句を言ったりすること。

朱にまじわれば赤くなる(しゅにまじわればあかくなる)
「朱」と言うのは少し黄色っぽい赤色のこと。朱にさわるとその部分が赤くなるように人はまわりの環境や友だちの影響を受けて良くも悪くもなると言う意味。良い友だちを選ぶのが大切だと言うこと。

知らぬが仏(しらぬがほとけ)
真実を知ったら怒ったり悲しんだりすることを知らなければ仏様のようにやすらかで落ち着いた気持ちでいられると言うこと。また、まわりはみんな知っていて本人だけが知らない様子をからかって言う。

好きこそものの上手なれ(すきこそもののじょうずなれ)
好きなことは長い間ずっとやっていても飽きていやになることはない。好きなことは好きでないことよりも熱心にするのでその分、上達も早いと言うこと。
過ぎたるはなお及ばざるがごとし(すぎたるはなおおよばざるがごとし)
物事には程度と言うものがあるので必要以上に多かったり、やり過ぎたりすることは少なかったりやらなかったりすることと同じでよくないと言う意味。何事もほどほどが大切だと言うこと。

住めば都(すめばみやこ)
昔は都、つまり政治の中心となっている所以外は寂しくて不便な所が多かった。そんな不便な所でも住んで慣れてしまえば、住みやすくなって離れられなくなるものだと言うこと。

背に腹はかえられない(せにはらはかえられない)
「腹」には内蔵があって、体の中でもっとも大切なところ。その「腹」を守るために「背」を犠牲にしても仕方がないと言うことから、大切なことを守るために他のことが犠牲になるのも仕方がないと言うこと。

船頭多くして船山に登る(せんどうおおくしてふねやまにのぼる)
船の進む方向を決めるのは「船頭」。その船頭が大勢いてあちことの方向を指さすと、とんでもないところへ行ってしまうことから、指示する人が多すぎてまとまらず、計画や仕事がとんでもない方向に行くこと。

袖振りあうも多生の縁(そでふりあうもたしょうのえん)
道ですれ違った知らない人と袖が少し触ったくらいでも、それは前世からの縁によるものだと言うことから、人と人との関係は偶然のものではなく、全て前世からの深い縁にもとづいていると言うこと。

備えあればうれいなし(そなえあればうれいなし)
「うれい」とは、心配すること。普段から、いざと言うときのための準備をきちんとしておけば、何か困ったことが起こっても少しの心配もなく大丈夫だと言うこと。